>北斎作かどうかを別にしたら、収蔵品はまあまあの作品が並んでいたのではないでしょうか。
そのやましさですが、河鍋暁斎に北斎を真似た絵を描かせていた可能性はないでしょうか?
暁斎は狩野派ですから無理かもしれませんが、北斎には弟子の為斎というのがいた。
小布施では北斎ではなく弟子の為斎(いさい)の作品を北斎として扱っていた。
だから飯島虚心は関わりたくなかった。為斎は横浜で輸出用の粗悪な浮世絵を描き、小布施の鴻山宅にも滞在し、大屏風を残している。
ところが、小布施では、為斎の落款を削ろうとした形跡がある。
(参照)
http://www.hokusai-paintings.com/Tomoenishiki/Tomoenishiki_09.html http://www.hokusai-paintings.com/Tomoenishiki/Tomoenishiki_10.html 北斎の弟子で腕もそこそこ、それを高井家で北斎の落款を入れ、北斎にして、北斎を作らせていた。
だから北斎の偽印が小布施に残っている。
>表立った真贋論争は菊図までなかったと思います。
いえ、そ連での展示して、里帰り展を東京でやったところ、小布施から持ちだした作品に大疑問が出た、
と瀬木氏の本(『真贋の世界』『迷宮の美術 真贋のゆくえ』)には書かれています。
小布施には、昭和初年の浮世絵贋作事件の首謀者の金子孚水がからんでいた。
>現在では、顧問・技術相談役の美術史家・永田生慈氏ひとりの判断で「真作」となります。
権威主義で作品の善し悪しが分かっているのでしょうか?
理事が30人居て、これでは何をしているんでしょう。教養の度合いが分かりますね。
重ねて詳細な考察ありがとうございました。小布施はバカばかりかと思いましたよ。
政治家に嘘はつきものですが、唐沢さんという人も元町長で大嘘ばかりついているようで、
丸かいてチョンなんてバカを使っていたようでは、人も作品も見る目はないですね。
ところで、信濃の国の替え歌、「小布施の町は上高井 ニセモノ北斎うそくさい」は傑作ですね。
これで長野県歌を覚えました。