>>136 カメですみません。132です。
リンク、ありがとうございます。
昭和57年に真贋論争に決着をつけたんですね。
70%の学者が本物と認め、でも30%程の学者にとっては疑問が残った。
結果、テレビは本物と伝えましたが「消極的な肯定」とい印象が強かったです。
ここから先は素人の考察であることをご承知の上お読みください。
私は研究者でもないし、北斎館へ行った回数じたい極少ないのです。
昭和57年の「北斎シンポジウム」で小布施町側が主に主張したのは、
晩年の北斎が3回、それも長期間小布施に滞在したという事実だったのではないかと思います。
九州電力のまちづくりシンポジウムの講演で唐沢氏が話しています。
贋作説が盛んに言われた理由は、
飯島虚心という人に「北斎伝」という北斎研究の著書があるが、
そのなかで、小布施については「北斎は小布施を訪れた」と述べるにとどめ、
他の地方のように、そこで何を描いたのか何も述べていなかった。
そのために、
「世界的に有名な画家が田舎の小さな小布施町で絵を描くわけがない」という声が多く出てきた。
(続く)