【信州小布施】北斎館2【前館長丸チョン】
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150名無しさん@お宝いっぱい。 [sage]

AAS

NG

詳細な考察恐縮です。
事実として館長が丸かいてチョン、2ちゃんの書き込みも末尾Pの汚い言葉ばかり、
韓国栗を国産と言って販売する、変な金髪おばさんが君臨する、この世で最低の町と思ってましたが、
こういうご意見が頂けるとまんざらバカばかりではないようですね。

>昭和57年の「北斎シンポジウム」で小布施町側が主に主張したのは、
>晩年の北斎が3回、それも長期間小布施に滞在したという事実だったのではないかと思います。

岩松院の時には北斎は小布施に居らず江戸に居た、なのに小布施では「北斎筆」としている。
事実を無視した狡猾高慢な態度が、事実を主張しても受け入れられていないと思います。
韓国栗問題にも同様の地域性を感じさせますね。

>飯島虚心は自分の足で信州小布施には来ずにこの本を書いている。
小布施に来た来ないで、判断するのはおかしいですね。
現在も最初に記した変人ばかりですから、君子危うきに近寄らず、だったかもしれませんよ。
小布施に行く浮世絵の研究者は居ないと思います。お金で招いているだけですよね。
瀬木氏も「小布施に来ていない」というだけで疎外されたと聞きますが、
写真があれば目のある人には判断できますし、小布施に行く行かないは別問題だと思いますよ。
ところで、飯島虚心は、戸隠中社の河鍋暁斎の天井画を調べている時に、長野に入り小布施に訪れているはです。
ところが、高井家では門前払いをくらっている。そこでも北斎には一言も触れられていない。
小布施でやましい何かがあった、だから暁斎も北斎も小布施は隠そうとした、
だから虚心は小布施に北斎が行ったというだけで詳しくは書かなかった、と想像するのです。

2011/07/11(月)05:46:48.01(MFKgu1td0.net)


151名無しさん@お宝いっぱい。 [sage]

AAS

NG


>北斎作かどうかを別にしたら、収蔵品はまあまあの作品が並んでいたのではないでしょうか。
そのやましさですが、河鍋暁斎に北斎を真似た絵を描かせていた可能性はないでしょうか?
暁斎は狩野派ですから無理かもしれませんが、北斎には弟子の為斎というのがいた。
小布施では北斎ではなく弟子の為斎(いさい)の作品を北斎として扱っていた。
だから飯島虚心は関わりたくなかった。為斎は横浜で輸出用の粗悪な浮世絵を描き、小布施の鴻山宅にも滞在し、大屏風を残している。
ところが、小布施では、為斎の落款を削ろうとした形跡がある。
(参照)
http://www.hokusai-paintings.com/Tomoenishiki/Tomoenishiki_09.html
http://www.hokusai-paintings.com/Tomoenishiki/Tomoenishiki_10.html
北斎の弟子で腕もそこそこ、それを高井家で北斎の落款を入れ、北斎にして、北斎を作らせていた。
だから北斎の偽印が小布施に残っている。

>表立った真贋論争は菊図までなかったと思います。
いえ、そ連での展示して、里帰り展を東京でやったところ、小布施から持ちだした作品に大疑問が出た、
と瀬木氏の本(『真贋の世界』『迷宮の美術 真贋のゆくえ』)には書かれています。
小布施には、昭和初年の浮世絵贋作事件の首謀者の金子孚水がからんでいた。

>現在では、顧問・技術相談役の美術史家・永田生慈氏ひとりの判断で「真作」となります。
権威主義で作品の善し悪しが分かっているのでしょうか?
理事が30人居て、これでは何をしているんでしょう。教養の度合いが分かりますね。

重ねて詳細な考察ありがとうございました。小布施はバカばかりかと思いましたよ。
政治家に嘘はつきものですが、唐沢さんという人も元町長で大嘘ばかりついているようで、
丸かいてチョンなんてバカを使っていたようでは、人も作品も見る目はないですね。

ところで、信濃の国の替え歌、「小布施の町は上高井 ニセモノ北斎うそくさい」は傑作ですね。
これで長野県歌を覚えました。

2011/07/11(月)05:50:42.12(MFKgu1td0.net)


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