J・マーフィーの成功法則はまさに超能力!part2
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535名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

>>534
逆だな、事実は実際に起きた現象で事実は1つ。
それに対して真実は納得できる解釈をされたもの。
この納得できる解釈を皆で共有できる、などと考えるから
事実と真実の境界線が曖昧になる。

事実は現象として一つだけだが、真実はそれを受け取る視点によって
無数に存在する、そう解釈した方が語義的にも正しくないかい。

複数の人がある現象を見てその現象と違うことを事実として
述べたのならそれは事実誤認で、それを修正したら正しい事実。
ただ、皆が確認した事実に対してそれぞれの立場から自分の解釈を
述べたのならそれはそれぞれの真実と言えないか。
事実誤認の修正を真実としているが、それだったら新事実では。

2023/04/23(日)19:21:10.95(LT4zpEYZ.net)


536名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

常に自分にとっての真実とは何か、それを考え続けるだけで人間は賢くなる。

例えばコップ丁度半分に水が入っているとする。
これを三分の二入っていたとか、三分の一しか入っていなかった、とするなら
それは事実誤認で事実ではない。
事実はコップ半分の水ということで、事実は1つ。
この事実を共有して、その半分を「まだ半分」「もう半分」と認識したなら
それがそれぞれにとっての真実。
だから物事は事実をキチンと把握して同時に自分にとって真実とは何か
つまり事実に対しての納得のいく解釈をすると、事実と真実を同時に把握する
立場に居ることが出来る。

真実の真をまことと読むと何がまことか、という主観的整合性の入った事実となる。
もし真を本当のという意味で解釈すると、それはたんなる事実に過ぎなくなる。
どちらがわざわざ真という言葉を使うのにふさわしいのか、判るだろ。

事実を誤認のままで放置したり、自分なりの真実を見ようとしなかったり
事実と真実を混同したり、真実の独立性を認めず他人に押し付けたり
または他人の真実を咀嚼せず受け入れたりすると
事実とは何か、真実とは何かも判らなくなり
思考停止したり同調圧力に巻き込まれる。

2023/04/23(日)21:32:44.61(LT4zpEYZ.net)


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