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【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾陸

243日本@名無史さん [sage]

AAS

NG

■はいはい答え:畿内説は不要です
魏志倭人伝において里数で書かれた行程は中国側で持っていた情報であり、
日数で書かれた行程は朝貢に来た倭人から聞いた話である。
倭国大乱後に卑弥呼が女王となった事は中国でも話題となり、倭国に関する情報が多々存在していた。
陳寿はそれらの情報を精査し魏志倭人伝の下書きを作成していた。
そこへ女王国から倭人が朝貢に来たので更なる情報を要求したところ

~以下、倭人による行程説明~
・帯方郡から船で20日南下し、そこが投馬国
・更に船で10日南下して九州北部の邪馬台国に上陸ししばらく歩きます
・計約一月を要します

倭人が半島南部を投馬国、北部九州を邪馬台国と呼んでいる事を知らなかった陳寿は
位置関係がよく分からず既存の行程の後にそのまま追記してしまった。
この邪馬台国を北部九州と限定すれば九州説、日本列島を指すと解釈すれば西日本全域何処とも考えられる。
しかし、女王国の西側の国については一切触れられていないので、女王国の場所は西日本の中でも最も西に位置するはずである。
東には海が有りそれを渡るとまた倭種の国があった。そして南に狗奴国があり、卑弥呼時代に戦争が勃発した。

■半島南部が投馬国
古代朝鮮の伽耶(かや)には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明!
https://nazology.net/archives/110991

■その他
・倭人は「里」を知らず「日」を使って距離を示す(隋書)
・伊都国の又南、至る邪馬薹国(翰苑 広志逸文)

■各国の位置関係
(画像)

2022/11/14(月)18:31:28.20.net

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