ケインズ
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108名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

《ここでマルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な
私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えら
れたものだ。私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのであ
る。それゆえに、私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むし
ろ、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズム
が新たな「個体的所有」の確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソ
シエーションとして見ていたからである。
 こうした考えは、明らかにプルードンの考えにもとづいている。若いマルクスが絶賛し
たプルードンの『所有とは何か』という著作は、「所有とは盗みである」という言葉で有
名である。しかし、プルードンは所有一般を否定したのではない。彼が否定したのは、
「不労収益権、すなわち働かずに利得する力」である。よって厳密には、彼は所持と所有
を分ける。《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法
律、政治、経済、諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》(『所
有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房)。さらに、彼は「不労収益」を封
建的収奪と同一視したのではない。むしろ、彼のいう「不労収益」とは、資本制生産に固
有のものである。たとえば、個々の労働者は資本家から労働に対して賃金を支払われるが、
彼らの協業、すなわち「集合力」によって得られる利益の増加分は、資本家によって奪わ
れる。アダム・スミスはこれを正当な利潤の源泉と見なしたが、プルードンはそれを「盗
み」と呼んだのである。すでにイギリスのリカード左派はそれを剰余価値と呼んでおり、
そこから激しい政治的労働運動が生じた。それに対して、プルードンは政治的活動に反対
し、むしろ分業と協業によって生産力を上げながら同時にそれが「盗み」を生み出さない
ような、労働合資会社を作ることを提唱した。そのような倫理ー経済的な交換システムの
拡大が、資本と国家を死滅させる、と。
 このように見ると、実際上、マルクスが初期にブルードンから学んだ考えを一度も放棄
したことがないことがわかる。彼が「私的所有」に対立させる「個体的所有」は、プルー
ドンが「所持」と呼んだものに他ならないのである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫246−8頁、定本253-4頁)

2018/07/13(金)00:00:39.00(CJ6hvs5X.net)


109名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

以下、根井雅弘『「ケインズ革命」の群像』中公新書147~8頁より

…カレツキは、ケインズとは対照的に、マーシャルやピグーに代表
のされる正統派経済学との対決を意識する必要は当初からなかったのである。その証拠に、カレツ
キは、前に説明した利潤決定に関する命題(P=I+C)を、カール.マルクスの再生産表式を利
用することによっていとも簡単に導き出した。
 いま、経済体系を投資財を生産する第1部門、資本家の消費財を生産する第2部門、および賃
金財を生産する第3部門の三つに分割しよう(p.154)。
 各部門の産出量の価値Vは、利潤Pと賃金Wの和に等しい。すなわち、
Vi=Pi+Wi  (i=1,2,3)
第3部門の産出量は、一部はそれを生産した労働者によって消費され、残りは他の部門におけ
る労働者によって消費されるから、
 P3=W1+W2      (5)
が成り立っ。
 ここで、第1部門と第2部門の産出量の価値を合計すると、
 V 1 + V2=P 1+ P2+ W 1+ W2   (6)
となるが、(5)式を旧(6)に代入すると、ただちに次の式が得られる。
 V 1+ V2=P l1+ P2 + P3         (7)
 (7)式は、経済全体の利潤が、投資財の産出量の価値と資本家の消費財の産出量の価値の和に等
しいことを示している。利潤決定に関する命題は、こうして得られるわけである。


Shackelton and Gareth
Twelve Contemporary Economists 1981

2018/07/13(金)00:17:25.15(CJ6hvs5X.net)


110名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

http://study-capital.la.coocan.jp/hokoku/study-wn-capi-050.html
《資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働に
もとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、
それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は私有を再建しないが、しかし、資本主義
時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによっ
て生産される生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有をつくりだす》
『資本論』第一巻第24章第7節

itc253

2018/07/13(金)01:30:59.08(CJ6hvs5X.net)


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