1985年8月12日の日航ジャンボ機123便墜落から33年の時間が経過した。
私たちは、この事故=事件の「知られざる真実」に迫らなければならない。
一連のオウム真理教事件に伴う死者は29名、負傷者は6000名以上とされるが、日航ジャンボ機墜落事件では乗員乗客524名のうち520名が死亡した。
亡くなられた方々のご冥福を、改めて心からお祈りする。この事故=事件で生存を果たした、日本航空CAを務めていた落合由美氏は墜落直後の状況に関して重要な証言を示す。
「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。
そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」
つまり、多数の乗員または乗客が生存していたことを落合氏は証言している。
しかし、公式発表の事故調査報告書は、「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」としている。
両者の間に決定的な相違がある。落合氏は実際に墜落したジャンボ機に搭乗していたのであり、自分自身で現場を体験している。
これに対して、事故調査報告書を書いたのは、事故当時の現場を体験していない人物、あるいは「機関」=「組織」である。どちらの説明の信ぴょう性が高いのかは明白だ。
落合氏は飛行機に衝撃音が発生した直後の状況についても証言している。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、『パ−ン』という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
『バーン』ではなくて、高めの『パーン』です。急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「『パーン』という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。」
落合氏の証言は続く。