さきたま古墳群
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64出土地不明

AAS

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稲荷山古墳の被葬者は、稲荷山古墳鉄剣銘に記されるオワケと考えられている。
そのオワケの親に当たる「加差披余」は、日本書紀に記される武蔵国の国造の笠原直使主(カサハラアタエノオミ)の先祖をとされるようだ。
「加差披余」は、実在の人物と考えられている。

稲荷山古墳の被葬者オワケは太秦の秦氏と強い関連があったと推測されるが、秦氏がトルコ語を話すユダヤ教徒であると考えられることから、
この笠原氏の名の由来をトルコ語から探ってみた。

笠原(カサハラ)の名は、鉄剣銘のオワケの親の「加差披余」に由来していると考えられる。
この「加差披余」は「カサヒヨ」と発音したとみなして、これをトルコ語で当ててみると、次のような言葉になる。

加差披余(カサヒヨ)
トルコ語 kasahyo(カサヒヨ)=タウンハウス

タウンハウスは、2つ以上の住宅を1棟に建て連ねたもの。
住宅と住宅の壁を同じにして住宅をつないて建てる形式だ。
このイギリスの集合住宅は、当初は宮殿や王侯の執務室、住まいとして利用されたそうだ。

そうすると、トルコ語でkasahyo(カサヒヨ)は、王侯の宮殿、宿舎、執務室に当たる言葉だということになる。
そして、オワケが雄略天皇の杖刀人の首となり、埼玉の最大の有力者だった履歴からすると、
その親の加差披余(カサヒヨ)の名は建物を連結して造った長屋式の住宅を意味していることになる。
つまり、このカサヒヨは埼玉の首長の豪族の舘を表す言葉だった可能性が出てくるのだ。
その舘の呼称であるトルコ語のカサヒヨがオワケの親の名として贈り名され、それが後に笠原の名に転化したとみることもできそうだ。

この類似性と秦氏トルコ語話者説からみると、埼玉の稲荷山古墳群の勢力も秦氏に強い関連のあるトルコ語話者のユダヤ教徒だった可能性が出て来ることになる。

2023/02/19(日)16:46:13.66(LAm7YUetj)


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