>>1より
さらにいえば、基地問題を深掘りし、国や政府に厳しい姿勢でのぞみ、歴史の責任を問うのは、
沖縄紙のありかたとして県民が望んだことでもあったのだ。
そこに軸足を置いて報じていくしかない。
ある若手記者は私にこう打ち明けた。
「本当は貧困の問題を追いかけたい。なかでも子どもの貧困問題は深刻です。
基地によって、そうした切実な風景までかすんでしまうのが、たまらなくつらい」
だが、貧困問題を追いかけていても、突き詰めていけば基地にぶち当たる。日本が高度成長を謳歌しているときに、
沖縄だけが取り残された。日本国憲法でさえ及ばなかった時期がある。成長よりも安保が優先されてきた。
その「遅れ」が、いまでも経済の「足枷」となっている。
「だから、沖縄ではすべての問題が基地と地続きなんですよ。この島で新聞記者をしていれば、
いやでもその現実と格闘しなければならないのです」
地域に寄り添って生きていくのが地方紙の役割であるのならば、沖縄紙はその役割を忠実に果たしているにすぎない。
中央に偏った視線では、それが「偏向」に映るのであろう。沖縄紙は「偏っているのはどちらか」と問い続けているのである。(了)