ヒデキとユウキ、この親にしてこの子あり
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12名無し物書き@推敲中? [sage]

AAS

NG

ヘレン・マルーリスなんてたいしたことない
>12歳の時、レスリングをやめさせようとする両親に対して、アテネ五輪で戦う吉田沙保里を見て、
やめたくないと決心し、両親を説得してレスリングを続け、リオ五輪アメリカ代表決定戦では、
吉田沙保里の最大のライバルであった ソフィア・マットソン をフォール勝ちで倒した。

リオ五輪で吉田と戦いたいという理由から階級を下げ、数年前に吉田と撮った2ショット写真を
インスタグラムで自慢し、とにかく吉田沙保里を尊敬し、追いかけ続けてきた。

そして、ついに吉田を倒し、アメリカ初のレスリング女子金メダルを獲得した。
アメリカでの試合後のインタビューで、もう一度、オリンピックで吉田と戦いたいと語った

そんなどこにでもいる普通の山本聖子の弟子。それがヘレン・マルーリス

2016/08/20(土)02:10:03.45(bK2ex5t6y)


13名無し物書き@推敲中? [sage]

AAS

NG

世界選手権を4度も制した怪物山本聖子に吉田は当初全く歯が立たなかった
名将栄コーチについてやっと戦えるようになった

世界では簡単に決まる高速両足タックルが聖子には通じない
そこで栄コーチが足首近くを狙う片足タックルを聖子対策にあらたに徹底練習させた
代表権をかけた全日本選手権、第一ピリオドで吉田の狙いが片足タックルにあることに
セコンドについた父郁栄氏が気づき、ハーフタイムで聖子に片足タックルに気をつけろと
指示をするも、第二ピリオドにとうとう吉田の片足タックルが決まる
結局接戦のすえ吉田が制した

聖子はスピードパワーテクニック全て兼ね備えた本当にすごい選手だった
それを封じ込めた栄コーチの指導力は恐ろしいものがある




かつて、私には山本聖子さんという最大のライバルがいました。
彼女との初対決は1986年JOC杯ジュニアオリンピックの決勝。
そのときは2歳年上の聖子さんに、私はまったく歯が立ちませんでした。
その後もまるで勝てず、気がつけば公式戦5連敗です。
私はなんとか彼女に勝ちたいと大学入学後、
栄監督の指導の下で自慢のスピードに加え、弱点だった腕力とスタミナを徹底的に鍛え、>2002年のジャパンクイーンズカップでようやく判定勝ちすることができました。
女子レスリングが初めて正式種目に採用されたアテネオリンピックの代表を懸けて戦った>2004年のジャパンクイーンズカップの決勝も、相手は聖子さんでした。
このときは3本のタックルを決めた私の完勝。この試合がいまでも私のベストバウトです。

2016/08/20(土)02:11:59.26(bK2ex5t6y)


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