長い歴史の土壌に花開く
浜松医科大学の設立
浜松における医学のルーツは、明治7年(1874年)、当時の浜松県立浜松病院に開設された浜松医学校。
ちなみに東京大学は明治10年(1877年)、東京開成学校と東京医学校が合併して設立され、
明治19年(1886年)に東京帝国大学となりました。この事実から、浜松医学校がいかに古い学校であったかが分かります。
「それだけではありません。明治11年(1878年)、浜松医学校の新進気鋭の医学者たちが『七科約説(しちかやくせつ)』
というわが国初の翻訳医学書を出版しました。これは米国の医学書を翻訳したもので、上編・下編合わせて2000ページを超える大著。
当時、人口わずか1万2000人程度だった浜松で、このような先進的な本を出版できたことは、まさに驚異的というほかありません」
しかし、「七科約説」を世に出した浜松医学校は、明治13年(1880年)に廃校になってしまいました。明治9年(1876年)に
浜松県が静岡県に合併され、その4年後、予算不足のため医学教育は静岡病院に集約されることになったからです。「
もし浜松医学校が存続していたら、浜松はもっと変わっていた」と寺尾学長は残念がります。
「しかし、不思議な巡り合わせで、浜松医学校設立からちょうど100年後の昭和49年、医大が開校しました。
静岡県は長く無医大県でしたが、その間も浜松で遠江医学会が活動し、高度な医学を根付かせてきたのが大学設立につながったと思います。
今後、医療の世界はますます高度化、専門化していくと予想されますが、浜松医大は最先端の医療を担う機関として、
自らの役割を果たしていこうと考えています」
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/koho2/pr/shisei_info/vol3/5.html