歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」★3
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546公共放送名無しさん

AAS

NG

>>542
数万てとこじゃね?
結城領以外の常陸1国の佐竹が50万石ならその数分の1
20万石もあると甲斐1国相当ぐらいになってしまう
戦国常陸は北の佐竹、南東の鹿島、さらに佐々木や土岐もいた

2018/06/14(木)00:17:03.92(WdwP+dRQ.net)


569公共放送名無しさん

AAS

NG

>>548
強弱も程度の問題だと思う
室町関東は初め上杉、後に北条が桁外れに強大で、佐竹でもはるか…って感じ

2018/06/14(木)00:53:46.04(WdwP+dRQ.net)


571公共放送名無しさん

AAS

NG

>>565
鹿島は鹿島平氏または常陸大掾(だいじょう)氏というのが割拠していた(三十三館という)。
有名な剣豪・塚原卜伝もその辺の武士。だから鹿島神社に卜伝の石像がある。
九十九里のほうは武田・酒井などがいて安房方面から里見が伸びてくる。
上総武田氏はもともと甲斐守護武田氏が落ちのびてきたというから、信玄の遠い親戚ってことになる。
小田・宍戸に話を戻すと、彼らはもともと下野国から進出してきて、宇都宮氏の同族「八田」氏。
常陸で最も裕福な南西部の所領を鎌倉幕府に許され、鎌倉時代は守護だった(室町に佐竹が守護になる)。

2018/06/14(木)00:59:15.70(WdwP+dRQ.net)


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