クイックメニュー
スレタイ検索

【4000年】インド史その3【神秘】

5世界@名無史さん [sage]

AAS

NG

モディ首相は結構ヤバイ奴なんだよな
グジャラート州政府時代、ムスリムに対するヒンドゥー教徒の暴動を見てみぬふりして
結局500人以上が死んだ
それが原因でブッシュ大統領から合衆国ビザ拒否されて10年以上アメリカ入国禁止
最近では牛肉が原因でムスリムがヒンドゥーに惨殺されてるし、国内ムスリムの反対押し切って
インド首相史上初めてイスラエル行っちゃうし

バリバリの宗教右派でムスリムを敵対視してる 
だがインドには2億人近いムスリムがいる

2017/07/06(木)20:36:18.660.net


6世界@名無史さん

AAS

NG

1858年にムガル帝国が滅亡。その後のインドは1877年にイギリス領インド帝国が成立し少数のイギリス人がインド人を支配する形となっていきます。
このインド皇帝にはイギリスのヴィクトリア女王が即位します。

しかし、少数のイギリス人であんな広い土地と人民をどうやって征圧するのか?
イギリスは需要なところは直接支配をおこない、そうでないところでは、藩王と呼ばれるイギリスに協力的な地方の支配者に存続を認め二重体制でインドを支配しました。
この藩王が支配する領域を藩王国といいます。

そして、イギリスはインドをイギリス綿工業の為の市場、原料供給地として位置づけます。
19世紀後半になるとイギリスからインドへ資本輸出、つまりお金がたくさんつぎ込まれ近代的な工場が建設され始めます。
これは、イギリスの利益のためになされたわけですけど、インドにとっても利益になりました。

2017/11/12(日)00:27:16.660.net


7世界@名無史さん

AAS

NG

また、インドでは新知識人も登場することになります。イギリスはインド人に高等教育を施すことになります。
そして、彼らの中からは弁護士や学者、役人、技術者など多くが誕生するのです。

彼らの中にはインドの風習についても批判をする人も出てきました。
サティと呼ばれる風習で夫に先立たれた夫人が夫の遺体を焼く火の中に飛び込み共に命を絶つという風習・・・。
ラーム・モーハン・ローイという人は、このサティの禁止を強く訴えます。
また、バネルジーという人はインド人に対する差別反対運動を展開してイギリス支配からの開放を主張するようになっていきました。

2017/11/12(日)00:29:30.590.net


8世界@名無史さん

AAS

NG

このようなインドの状態に危機感を抱いたイギリスは1885年にボンベイという場所でインド国民会議を開きます。
インドのエリート層たちから意見を諮問し不満を解消しようと試みたんです。
メンバーは急激な改革を求めるわけではなくイギリスに協調的ともいえる人たちでしたが、次第に民族色が強くなり、後に彼らはインド独立運動の中核となる組織になっていきます。
また、インド国民会議に結集する人々から生まれた政治勢力を国民会議派といいますよ。

2017/11/12(日)00:30:07.370.net


9世界@名無史さん [sage]

AAS

NG

>>1
インドは良いーんど

2017/11/12(日)01:33:33.820.net


10世界@名無史さん

AAS

NG

なんでインドではこんなに菜食主義が栄えたんだろう
ヒンドスタン平原と気候が似た華南でもベトナムでも独自の菜食主義宗教は生まれなかったのに

2017/11/12(日)21:24:15.620.net


11世界@名無史さん

AAS

NG

>>10

輪廻転生思想のおかげで、極端な不殺生主義になったから。

2017/11/12(日)22:21:37.830.net


12世界@名無史さん

AAS

NG

イスラム教で豚食が禁止されたのは、豚肉による食中毒や伝染病が多かったからとも言われている。

インドで肉食しないのも、そういう面があるのかもしれない。

2017/11/12(日)22:23:24.570.net


13世界@名無史さん

AAS

NG

実際のところ、高温多湿なのに豚肉食が盛んな広東省は、伝染病の世界的な発生源。

広東省から発して、世界に広がったインフルエンザとかの伝染病はほんとに多い。

2017/11/12(日)22:25:03.410.net


14世界@名無史さん

AAS

NG

神々の父ディヤウス=ゼウス
天空神ヴァルナ=ウラヌス

でいいですか?

2017/11/14(火)23:53:12.250.net

名前

メール

本文