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【WW2】沖縄戦について教えろ下さい【太平洋戦争】

21名無しさん@お腹いっぱい。 [sage]

AAS

NG

アメリカ兵は日本の地形にかなり苦戦をしていた。
とにかく泥濘がひどくて戦車などが立ち往生してしまって進軍がままならなかった。
一晩中、榴弾の雨が降り兵士は眠ることすらできない。
榴弾の振動波や音は塹壕の中にいても防ぐことはできず
激しいPTSDに悩まされたという。

2015/11/02(月)17:45:04.88(Pygqe4C50.net)


22名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

普段着の子供兵にいきなり攻撃されたり、民間人偽装の日本兵、
子供兵女姓の自爆攻撃などが米軍の無差別攻撃を招いた

2015/11/02(月)20:49:23.43(xxBCel890.net)


23名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間 (光人社NF文庫)
ジェームス・H. ハラス
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4769826532/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#RKDGTLA45WW06

戦場で無念の思いで死んでいった日本軍独立混成第15連隊の将兵とは、陸軍のみならず海軍の山口、丸山大隊、飛行場の整備兵、
そして沖縄現地の青少年までをかき集めざるを得なかった、文字通り混成部隊であった。
語られれることの少ないこの無名の日本兵らは、米軍を自陣深くまで密かに招き入れ、自らの姿を現すことなく黙々と十字砲火を浴びせ続けた。
作戦会議のために米将校が集合した家屋には、勢ぞろいした数分後に砲弾を正確に着弾させた。
そして怯えながら地にはいつくばる海兵隊員を翻弄、圧倒しまくり、米海兵隊第22、29海兵師団の大半である2つの連隊を壊滅させたのであった。
前線崩壊、突破される危機まで追い込まれた米海兵隊は、屈辱を噛み殺しながら陸軍の援助を要請した。
今は語られない美田大佐のみごとな統率でもあった。米軍は、戦死したある日本兵の手帳のメモにMitaとあったことから、その名を知った。

「日本兵はよく訓練され統制がとれており身体能力も高かった」と米兵が証言している。
とくに狙撃兵は、米兵に畏敬の念を持たれていたほど恐れられた。将校か通信兵を選び、眉間か胸のど真ん中を狙い、即死させていたから。

「中尉達は中には着任15分で死亡し、まるでトイレットペーパーのようだった」

日本兵の高度に計算および訓練された正確な砲撃や射撃は「神業」と記され、ここには憎しみよりも驚きや畏怖の念が感じられる。

2015/11/25(水)01:33:35.26(8ZeBIiH20.net)


24名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)
ユージン・スレッジ (著),伊藤 真 (翻訳),曽田 和子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4061598856/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R3R2GWTQNEJ6OH

「第5連隊第3大隊K中隊は1945年4月1日、士官を含めて総員235人で(沖縄に)上陸した。作戦中、補充兵250人が加わり、
合計485人が所属したことになる。だが作戦終了時に残っていたのは50人、
そのうち、4月1日の上陸者はわずかに26人だった。」

日本兵の死体の口の中に放尿したり、剥き出しになった下半身めがけて撃ち飛ばして遊ぶ兵士もいた。
沖縄人のおばあさんが米兵に「殺してくれ」と頼むシーンが印象的。
著者は衛生兵を呼ぼうとするが、他の兵士があっさり射殺してしまう。

2015/11/25(水)01:44:43.60(8ZeBIiH20.net)


25名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

沖縄決戦 - 高級参謀の手記 (中公文庫プレミアム) 文庫 – 2015/5/23
八原 博通 (著)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4122061180/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R2JGNICOTD9V6R

牛島司令官の統帥に対する疑問です。人格は円満で配下の軍人軍属、県民への配慮は素晴らしいのだが、
仕事は全て部下に任せて上がってきた書類を決裁するだけ。
これでは司令官ではなく役所の管理職でしかない。百歩譲って細かい事に干渉しない統帥がアリだとしても、
大本営やら上級司令部の第10方面軍との戦略の調整を、なぜやらないのか全く解せない。
沖縄戦の最中、第32軍はこの外部からの干渉で攻勢と持久の間で揺れ動き消耗してゆく、
本書ではその責任は大本営や方面軍にあるように書いている。
しかし、私には上にも配下にも何の方針も示さなかった牛島司令官に大半の責任があるように思う。

フィリピン、沖縄ともいかに中央(参謀本部)が現地の足を引っ張っていたのか
既に分かっていた話ではあるものの読んでいてつらいものがあった。
フィリピンでは、持久戦に徹して戦線を終戦時まで維持できた一方、
沖縄では、反撃を試みたことによって兵力を激減、3ヶ月弱で組織的な戦闘を終えたこと。
八原さんは、司令官、参謀長をおもんばかって、持久戦を続けようとする現場に
「卑怯者」と罵倒した参謀本部、方面軍の圧力に耐えきれなかったからとしていたが
おそらくフィリピンでも同様の罵倒電報があったと思うが、フィリピンでは
それを無視するハラがあったということになるのか。

2015/11/25(水)01:56:29.83(8ZeBIiH20.net)


26名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
戸部 良一(著),寺本 義也 (著),鎌田 伸一 (著),杉之尾 孝生 (著),村井 友秀 (著),野中 郁次郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4122018331/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending

沖縄 上層部との不整合が招いた結果

沖縄戦に関しては、兵力分散の愚を陸軍参謀本部が行うが、その後の沖縄の司令官の行動は、
硫黄島で戦った栗林中将同様であり、沖縄戦の問題である沖縄県民に対する責任は、
現地司令官にはなく、参謀本部にあるが、この沖縄戦は、硫黄島同様、
出来るだけ米軍の本土上陸を遅らせることが、この作戦の目的であるため、
この作戦は失敗した作戦とは言えない。

・主観的で「帰納的な」戦略策定 -空気の支配-
日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくことより、空気や情緒が支配する傾向にありました。
精神論や駆け引き的効果を重視し、作戦を策定するときにおいても将軍の「必勝の信念」に対し、
部下たちは何を言っても無駄であるというムード(空気)に包まれてしまうといった状況が間々あったのです。

2015/11/25(水)02:39:58.86(8ZeBIiH20.net)


27名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

沖縄戦 二十四歳の大隊長: 陸軍大尉 伊東孝一の戦い
作者 笹 幸恵
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4054062121/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending

最前線の実情に疎い上級司令部によって理不尽な命令を下され、現地の伊東大尉が憤慨する場面が、本書中にも何度も出て来ます。
たとえば、「貴隊はどこそこから攻撃を発起せよ」と指示された地点が、敵の手中にある。或いは、到底辿り着けない地域の奪取を命じられる。
はたまた、第一線部隊が上げた報告が途中で握り潰され、司令部へと伝わっていない

伊東大隊長も自身の信念があり、上司である北郷連隊長と波長が合わないのも興味あった。

昭和20年8月29日に武装解除するが、連隊全体の将兵は250名、その内に伊東大隊が100名、配属諸隊が70名、それ以外に保護下の住民が100名だった。

5月4日の日本軍の総攻撃では、伊東大隊以外の部隊は早朝から攻勢に出て、米軍の反撃に遭い大損害を出していたのですが、
伊東大尉はp178で、「なに、午後の4時?もう夕方か、そんなに眠ったか」と書いてます。
命令通りに総攻撃に参加せず、昼寝して敵味方がへとへとになってからこっそり夜襲して棚原高地の英雄となりましたが、
一歩間違えれば軍規違反で銃殺されるところです。
とぼけて昼寝していたはずはなく、味方が悪戦苦闘している状況でも自らの兵力を温存して、自ら信ずる作戦を実行するというのは、
英雄と戦犯は紙一重と言えば言い過ぎでしょうか?

2015/11/25(水)02:55:38.66(8ZeBIiH20.net)


28名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

帝国陸軍の最後 (4) (光人社NF文庫)
伊藤 正徳(著)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4769821972/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending

唯一初期に対戦する兵力が拮抗していたであろう沖縄戦の扱いが中心となっています。
突然の第9師団抽出事件や、糠喜びだった増援中止により命令二転三転し、激憤する現地第32軍と参謀本部との険悪の中、
いよいよ敵軍上陸し、水際で撃たず無血上陸させ、戦略持久戦を行ったことへ、一言加えられます。
すなわち敵上陸軍との兵力差がなかった沖縄では敵軍主力を展開未了時に反撃することができ、
一時的に敵を海上へ追い返す戦術勝利が可能でなかったかということ。
全て敵に上陸されて敗退した歴史上の唯一の例外を作り得たというもので、そうした野心がなぜなかったのかという点です。

2015/11/25(水)21:16:12.80(8ZeBIiH20.net)


29名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

沖縄 悲遇の作戦 異端の参謀八原博通 (光人社NF文庫)
作者 稲垣 武
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4769822189/ref=cm_cr_pr_btm_link_2?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending&pageNumber=2

大本営の誤った敵情判断による防衛戦略の見直しにより、沖縄防衛の要であった第9師団が台湾に引き抜かれてしまう。
約束されていた補充師団も到着しないという状況に至って、八原は大きな決断を下す。
すなわち、航空部隊の支援を受けての水際撃滅戦という(米軍との圧倒的な火力差を無視した)大本営の非現実的な作戦構想を斥け、
洞窟陣地を築いてそこに籠城し、徹底した戦略持久作戦を展開するという大転換を行ったのである。

八原の作戦は功を奏し、巧妙適切な陣地編成と砲兵力運用によって、米軍に多大の出血を強要した。
しかし八原作戦の本質を理解しようとしない大本営や第10方面軍は第32軍を「腰抜け」と考え、攻勢作戦への転換を督促し続けた。
一方、第32軍司令部でも、一寸刻みになぶり殺しにされているような戦闘の展開に神経がまいってしまい、
決着を付けるべく、攻勢を望む意見が支配的になっていった。
八原は「陣地を捨てて絶対優勢を誇る米軍に対し攻勢をとれば、全滅は必至」と反対したが、
牛島満軍司令官はついに総攻撃を決定した・・・・・・ 

2015/11/25(水)21:16:54.62(8ZeBIiH20.net)


30名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

米国陸軍省 (編集),外間 正四郎 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4769821522/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending

アメリカ軍かた記録した戦闘の経過を見ていると、日本軍は高級参謀・八原博通大佐が立案した、
徹底守勢による「一人でも多くの米兵を殺す」という戦術が、奏功していたことを知る。
長参謀長の無謀な反撃作戦が混ざらなければ、さらに多数の米兵を殺すことができただろう。
圧倒的な米軍の戦力のもとで、粘り強く戦っていたことが分かる。

さらには、沖縄の米軍の海上戦力にもっとも打撃を与えていたのは、ロケット特攻機・桜花による戦果も含めて、
特攻機の攻撃だったことも記録されていた。

軍民道ずれに玉砕したのではなく、沖縄の民間人は、20万人単位の集団で米軍に投降しているし、
その中には、多数の日本軍兵士も混ざっていたことを知る。
序盤と中盤までは、ともかく、最終盤、司令部が自決して以後の陸軍兵士は、
士気が落ちて集団投降していたことが記録されていて興味深かった。

2015/11/25(水)21:17:30.60(8ZeBIiH20.net)

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