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純粋な弥生人は沢山いるが純粋な縄文人はいない

1名無しさん@お腹いっぱい。
AAS
それが現実

2018/06/16(土)23:13:03.37(yD4rXeVI.net)


40名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

分部哲秋 長崎大学・大学院医歯薬学総合研究科・講師 松下孝幸 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム 2022年度研究報告第19号

頭蓋の計測的形質から見た場合、宮崎県西部山間部と宮崎県東部山間部から出土する従来からの山間部古墳人との間には大きな差は見られず、
形態的に縄文的要素を強く留めた集団といえる。

ENROSE形態距離に基づく主座標分析図を見ると、両古墳人の座標上での位置取りは、
渡来系弥生人(安永田、吉野ヶ里、金隈、土井ヶ浜)と関係が深いとされる北九州、山陽、畿内、関東、東北の古墳人よりも縄文人に近い。
また、縄文人の継続したものと考えられている西北九州弥生人よりもさらに縄文人に近い関係が見られる。

(画像)
(画像)

津雲縄文人(津雲貝塚)
渡来系弥生人(安永田、吉野ヶ里、金隈、土井ヶ浜)
宮崎東部古墳人(旭台、上の原、菓子野、大萩、原村上、縄瀬、横尾、立切、東二原および日守地下式横穴墓群)
宮崎西部古墳人(広畑および島内地下式横穴墓群)
熊本古墳人(津袋大塚、古城、向野田、西潤野、四十八塚、千埼、桐ノ木尾)
佐賀古墳人(小隈、丸山、金立、今町、平田原、妻山、谷口)
東日本縄文人
東北古墳人(上の原、山ノ上、腰巻、千代鶴、深渡戸、梨木畑、五松山、二木、丸山、清水、熊野堂、矢本、山王、市川橋、狄穴)
関東古墳人

2023/11/26(日)20:36:02.23(8dsFf7wf.net)


41名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

津雲縄文人 渡来系弥生人

頭蓋最大長186.4 183.7
頭蓋最大幅144.4 142.4
Ba-Br高 134.0 137.7
頭長幅示数 77.7 77.7
頭長高示数 71.6 75.3
頭蓋幅高示数92.2 97.0
頬骨弓幅143.2 140.0
中顔幅 103.6 104.7
顔 高 115.8 123.8
上顔高 67.0 74.8
眼窩幅 43.5 43.2
眼窩高 33.5 34.5
眼窩示数76.5 79.9
鼻 幅 26.6 27.1
鼻 高 48.6 52.8
鼻示数 54.5 51.4

宮崎東部古墳人 宮崎西部古墳人 熊本古墳人

頭蓋最大長180.9 181.5 181.2
頭蓋最大幅141.6 143.6 143.8
Ba-Br高 135.4 137.3 135.3
頭長幅示数 77.4 77.8 78.8
頭長高示数 74.8 76.0 75.5
頭蓋幅高示数96.0 96.5 94.6
頬骨弓幅138.4 139.2 137.9
中顔幅 102.4 100.9 102.5
顔 高 114.8 116.1 116.0
[全て表示]

2023/11/26(日)20:36:20.64(8dsFf7wf.net)


42名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

国立歴史民俗博物館 藤尾慎一郎
2023年2月11日に鹿児島市国際交流センターにおいて計画研究A02班・B01班合同の報告会を開催しました。
両班は2018年度から宮崎南部や、トカラ列島十島村を含む鹿児島県に所在する遺跡の調査を行ない、
人骨の形質人類学的調査を行っている鹿児島女子短期大学の竹中正巳教授からご提供いただいた人骨を調査し、
DNA分析と年代学的調査を行なっています。その成果は、年度ごとに「国立歴史民俗博物館研究報告」に公表しております。

篠田謙一「南九州古人骨のゲノム解析結果」
篠田は、九州南部の縄文人、古墳人のDNA分析を行なった結果、縄文人のミトコンドリアDNAは西日本縄文人のハプログループであるM7aであった。
甑島や鹿屋市の横穴墓から出土した古墳時代の人骨には、縄文系核ゲノムの比率が高い人びとが多いことに注目した。

頭蓋骨比較
白人 縄文人 南九州古墳人 日本人
(画像)

2023/11/26(日)20:36:54.86(8dsFf7wf.net)


43名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

地下式横穴墓から出土した人骨および人骨関連遺物に関する骨考古学的研究 (竹中正巳、篠田謙一他 2015)
主に大隅半島の古墳時代人骨に関する研究。5〜6世紀
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-24520873/

宮崎県などの南九州の山間部では縄文人・西北九州弥生型の人骨が弥生〜古墳時代にかけて出土することで以前より知られている(南九州山間部タイプと呼ばれる。)が、大隅半島では詳細が不明であった。
今回の研究で大隅半島に属する立地の遺跡(立小野堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、 町田堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、塚崎古墳群 19 号地下式横穴墓(鹿児島県肝付町)、飯隈古墳群鷲塚地区地下式横穴墓(鹿児島県大崎町)、
旭台地下式横穴墓群(宮崎県高原町)、地下式横穴墓群(宮崎県えびの市))で新資料が得られた。
それらの新資料を本研究で詳細に調べたところ、典型的な縄文人の特徴を持っていることが判明した。

2023/11/26(日)20:37:11.22(8dsFf7wf.net)


44名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

2023/11/26(日) 20:10:32.11ID:D1Hk1swU0
「南九州の地域性」池田次郎

地下式横穴墓は、宮崎県南部から大隅半島北部を中心に広がっている。それに対して地下式板石積石室の分布域は鹿児島県北部・熊本県南部・宮崎県内陸部におよんでいる。
地下式横穴墓がさかんに造営されたのは五世紀〜八世紀である。地下式板石積石室墓が造られた時期は四世紀〜六世紀後半である。
このように地域色豊かな墓には、隼人とよばれていた人たちが葬られたといわれている。隼人はその居住地域によって日向隼人・大隅隼人・阿多隼人・薩摩隼人・甑隼人とよびわけられている。
宮崎県の地下式横穴墓から出土した在来系古墳人は 、鼻根部の隆起が強く、大腿骨の柱状性が強いなど、縄文人的特長がいちじるしく強い。

この九州南部は、長く畿内の中央政府に反抗し続けた「隼人」、あるいは「熊襲」の分布域として知られる。
前にも触れたように、その地理的な条件もあっておそらく更新世に遡る時代から南島経由で南アジアの人的文化的影響がおよんでいた可能性がある。
民俗学者の大林太良も、隼人の言語はオーストロネシア語族の流れをうけたものと想定されると述べている。
この地域の人々が中央政府からの圧力に頑強に抵抗し続け、体質面でも現代に至るかなり強い地方色を遺したのは、
彼らが長年に渡って育んできたそうした独自性の強い文化が、流入する他文化と激しい摩擦を起こして容易には同化し得ない土壌を形成していたことが一役かったのであろう。


縄文人の成分としてパプア人のような南方人種が48%くらいでポリネシアとも近縁なんですよ
個人的にはオホーツク人が、北米先住民との共通項を北海道縄文人に持ち込んでアイヌ化したものと思いますが

(画像)

2023/11/26(日)20:37:33.05(8dsFf7wf.net)


45名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

同じ日本人といっても、住む地域によって顔や体つきに多少の違いがあることは、
日常生活の中で多くの人が実感していることだろう。

・第1、第2判別関数による府県を単位集団とする比較(男性)
近畿→身長の割に肩幅が狭く、頭長の割に顔高が大きい。
南九州→身長や顔高に比べて肩幅や頭長が大きく、がっしりとしている。(『日本人はるかな旅』多賀谷昭・長野県看護大学教授)

薩摩半島男女5.520名の指紋の各頻度から、同地方人はジャワ島インドネシア人の指紋の頻度を中心とする南方民族のそれに接近し、
而して同地方人は甑島東海岸人のそれに最も近似する。(鹿児島大学医学部法医学教室・三上芳雄教授)
(画像)

二重まぶた率
日本列島29%
薩摩半島55%
沖縄本島82%
(画像)

2023/11/26(日)20:38:00.71(8dsFf7wf.net)


46名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

5年生存率1割程度 特殊な白血病「ATL」 発症者が沖縄や南九州に多いわけ
中川 恵一・東大大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授
毎日新聞2023年8月17日

1万年以上前から日本列島に住んでいた縄文人と、約2000〜3000年前に朝鮮半島から渡来した弥生人との混血が日本人のルーツといわれます。

縄文人の顔の特徴は、彫りが深く、眉は太く濃く、まぶたは二重で、鼻が大きいといった、いわゆる「ソース顔」です。
弥生人の方は、面長で彫りが浅く、一重まぶたで、鼻も小さい、「しょうゆ顔」。昭和すぎる表現ですかね(笑い)?

お公家さんを思わせるしょうゆ顔の人が近畿地方に多く、野性味あふれるソース顔は九州・沖縄に多いということです。
二つのタイプの顔を思い浮かべると納得できる気もします。

稲作を武器に大陸から渡来し、大和朝廷を樹立した渡来人が、
もともと住んでいた縄文人を列島の辺境に追いやったと考えてよいと思います。

2023/11/26(日)20:38:18.42(8dsFf7wf.net)


47名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

国立歴史博物館教授・藤尾慎一郎
日本経済新聞2023.05.26
「愛知県清須市から名古屋西区にかけて広がる東海地方最大級の朝日遺跡から出土した弥生前期後半(2600年前)の人骨の核ゲノムは渡来系だと判明。
この地域では弥生初期を特徴付ける遠賀川系土器が見つかっており、それを使っていたのが渡来系弥生人であることがゲノムで確認できたわけだ。
土器の系統と遺伝子が対応する可能性を示すもので興味深い」と藤尾氏。
(画像)

2023/11/26(日)20:40:34.65(8dsFf7wf.net)


48名無しさん@お腹いっぱい。

AAS

NG

弥生時代前期の青森県砂沢遺跡(紀元前500年前)や垂柳遺跡が有名だがこれは弥生人の北限ではない
更に続縄文時代の北海道からも渡来系人骨が出土している

東日本の主な弥生集落遺跡
(画像)

続縄文時代前半恵山文化期の積丹半島西岸茶津4号遺跡出土人骨の歯の計測値による判別結果は、7個体のうち5個体が渡来系と判別されるに至った
内浦湾に面する北海道豊浦町礼文華遺跡出土人骨は、歯の計測値による判別分析や頭骨形態において渡来人的要素を持つことから、渡来人の遺伝的影響を強く受けていた可能性は極めて高いといえる

秋田のこの地方における当時(紀元前5世紀)の一般的な遺跡と考えられる地蔵田遺跡でも遠賀川式土器や環濠集落が見られる
日本海側の伝播は特に早かったと思われる

特に新潟の下谷地遺跡(弥生中期)は土器の9割を畿内系が占めており、畿内から東山ルートの陸路はこの頃から使われていたと考えられる

日本人の完成は古墳時代だった
(画像)

3世紀(西暦200年)人口推定

陸奥(福島、宮城、岩手、青森): 2万9000
出羽(山形、秋田): 5000
北関東(茨城、群馬、栃木): 3万9000
南関東(千葉、埼玉、東京、神奈川): 6万
北陸(新潟、富山、石川、福井): 2万1000
東山(山梨、長野、飛騨): 8万7000
東海(静岡、愛知、岐阜): 5万4000
畿内(奈良、京都、大阪、神戸): 3万
畿内周辺(滋賀、三重、和歌山、兵庫): 7万
山陰(鳥取、島根): 1万8000
山陽(岡山、広島、山口): 4万9000
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2023/11/26(日)20:44:42.62(8dsFf7wf.net)


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