ライプニッツの法論Disputatio De Casibus Perplexis in Jure(法律に於ける紛糾せる事例)1666、
https://digital.slub-dresden.de/werkansicht/dlf/60594/1/ http://digital.slub-dresden.de/fileadmin/data/358423678/358423678_tif/jpegs/358423678.pdf その口絵に引用された変身物語、
https://la.m.wikisource.org/wiki/Metamorphoses_(Ovidius)/Liber_XII Det mihi se: faxo, triplici quid cuspide possim, Sentiat.
《やつがわたしの領分までやって来さえすれば! そうすれば、この三つ叉の鉾の威力を
思い知らせてやれように。》
オウィディウス『変身物語』巻12岩波文庫下186頁
間に挟まれたad Zoilumは正確にという意味か?
口絵がどこまでライプニッツの意図を反映しているかはわからないが(本文にはアエネイス、
変身物語への言及はない)結合法論的志向が興味深い。真ん中の三角形は回転するのではないか?
その三角内の構成=「暗黙→媒介→究極」はやはり見れば見るほどヘーゲル=「意識→対他→
絶対精神」に似ている。
ヘーゲルはライプニッツのこの著作を知っていただろうが、ケインズが受け継ぐことになる
確率論的な部分は重視しなかった
絶対精神は確率論を排除するからだ
ライプニッツ(1665年『条件論2(Disputatio juridica posterior de conditionibus)』、1669年『法の諸例(Specimina juris)』として刊行)
は、無効・不確実・絶対的ということを0・1/2・1と表記している。
ラッセルの形式論理学ならば演繹的推論を用い、は0(否)か1(是)かである。
けれども我々の日常生活は、そのように確実ではない判断に満ちている。
ライプニッツを受け継いだケインズ『確率論』(1921)の帰納的推論は、日常の推論に相当する0<a/h<1の合理的信念を扱う。
ケインズは(ニュートンを支持していたが)ライプニッツを意識していたと思う。
http://store.toyokeizai.net/books/9784492811481/ ケインズ全集8巻 確率論 (A Treatise on Probability) 1921
ケインズ,J.M.著/佐藤 隆三訳 578頁
発行日:2010年05月28日
若きケインズがムーア、ラッセルの影響のもとに書いた哲学の書。「確率の論理説」の立場にたって、確率概念の定義と
その形式的体系化を試み、それを応用した帰納的推論の分析を行う。
エピグラフ
「一度ならず私は、新たな種類の論理学、確からしさの程度を扱う論理学が必要になるといってきました。」
ライプニッツ(『人間知性新論』1765,みすず書房,pp.480~81)『確率論』邦訳3頁より