66名無しさま [sage]
紀子さま、美智子さまに宣戦布告 「威光を失くした過去の人」と冷ややか
上皇后美智子さまは、3月末に皇居を去られてから現在まで、
港区高輪の仙洞仮御所で、静かな自粛生活を送られている。
『女性自身』(7月14日号)の取材によれば、美智子さまはお引越しから約3ヶ月以上にわたり
一切の外出をされておらず、上皇陛下と仮御所の敷地内をお散歩したり、
ご友人とのお電話のやり取りをしてお過ごしであるという。
しかしそんな静かな生活の中でも、懸念されていたご体調は整わないようで、
美智子さまの著書も編集した末盛千枝子さんは同誌の取材に対し
「弱々しいお声でお話になられるようになった」と話す。
自粛生活が続く中、女性皇族の人間模様にも変化が生まれているようだ。
かつて、美智子さまを模範とし、雅子さまの「適応障害」に対して「過剰適応」とも言われた紀子さま。
平成時代の美智子さまと紀子さまの蜜月はつとに知られていた。
しかし、お代替わりが済んだ現在では、お二人の間に隙間風が吹いているという。
「“昨日の友は今日の仇”といいますが、お二人がかつてのような
親密なやり取りをされているというお話は聞きません。
先日も、秋篠宮家のガウン作りに感動した美智子さまが、紀子さまにお電話をされたとのことですが、
美智子さまの『次は悠仁の姿も国民に知らせてあげるといいわ』という提案に
紀子さまが憤慨なさり、今では美智子さまからのコンタクトに応じなくなっているようです。
美智子さまも仮住まいで寂しくしていらっしゃるのに…。
かつての懐刀である紀子さまの変わりようには驚愕されていますよ。
紀子さまはご自身がすでに上皇后よりも上のお立場であると
勘違いなさっているのかもしれません」(上皇消息筋)
さて、2005年頃から適応障害に苦しみ、皇室内外からの苛烈なバッシングに耐えられた雅子さま。
当時、そんな雅子さまをのけものに、美智子さま、紀子さま、黒田清子さんらが一緒にお菓子作りをする事もあったようだ。
「社会での経験が少ないという自覚からか、紀子さまはご結婚直後から頻繁に御所へ
皇后・美智子さまをお訪ねになり、さまざまなことを相談されてきたという。
美智子さまにとっては初めての嫁でもあり、紀子さまを“キコちゃん”と呼んでかわいがられた。
(中略)
あるとき、美智子さまと紀子さま、ご結婚前の紀宮さまが3人で御所にお集まりになって
お菓子づくりをされることがあった。
だがそこの雅子さまがご一緒されることはなかったという。」『女性セブン』2011年10月6日号
「よくあるいじめの構図と似ています。一人で苦しむ中で、お姑さんと義理の妹2人に除け者にされた、
雅子さまの当時のお苦しみは相当なものであったでしょう。
呉越同舟という言葉がありますが、美智子さまと紀子さまお二人の良好な関係性には
利害の一致で協力し合っていただけの側面があったように思えてなりません。
雅子さまが国民からの尊崇を集め、皇后として歩まれる中で、お二人の関係性を良好に保つ潤滑油が不在となり
美智子さまのほうが紀子さまに“見限られた”という見方もできます。
美智子さまがいくら皇室内で絶大な権力をお持ちでも、
国民からの信頼は雅子さまのそれと反比例するかのごとく失われていますから
国民からの目を強く意識される紀子さまが『威光を失くした人に利用価値はない』と
思われるのも、一つの自然な感情と言えるでしょう」
上皇后美智子さまは、3月末に皇居を去られてから現在まで、
港区高輪の仙洞仮御所で、静かな自粛生活を送られている。
『女性自身』(7月14日号)の取材によれば、美智子さまはお引越しから約3ヶ月以上にわたり
一切の外出をされておらず、上皇陛下と仮御所の敷地内をお散歩したり、
ご友人とのお電話のやり取りをしてお過ごしであるという。
しかしそんな静かな生活の中でも、懸念されていたご体調は整わないようで、
美智子さまの著書も編集した末盛千枝子さんは同誌の取材に対し
「弱々しいお声でお話になられるようになった」と話す。
自粛生活が続く中、女性皇族の人間模様にも変化が生まれているようだ。
かつて、美智子さまを模範とし、雅子さまの「適応障害」に対して「過剰適応」とも言われた紀子さま。
平成時代の美智子さまと紀子さまの蜜月はつとに知られていた。
しかし、お代替わりが済んだ現在では、お二人の間に隙間風が吹いているという。
「“昨日の友は今日の仇”といいますが、お二人がかつてのような
親密なやり取りをされているというお話は聞きません。
先日も、秋篠宮家のガウン作りに感動した美智子さまが、紀子さまにお電話をされたとのことですが、
美智子さまの『次は悠仁の姿も国民に知らせてあげるといいわ』という提案に
紀子さまが憤慨なさり、今では美智子さまからのコンタクトに応じなくなっているようです。
美智子さまも仮住まいで寂しくしていらっしゃるのに…。
かつての懐刀である紀子さまの変わりようには驚愕されていますよ。
紀子さまはご自身がすでに上皇后よりも上のお立場であると
勘違いなさっているのかもしれません」(上皇消息筋)
さて、2005年頃から適応障害に苦しみ、皇室内外からの苛烈なバッシングに耐えられた雅子さま。
当時、そんな雅子さまをのけものに、美智子さま、紀子さま、黒田清子さんらが一緒にお菓子作りをする事もあったようだ。
「社会での経験が少ないという自覚からか、紀子さまはご結婚直後から頻繁に御所へ
皇后・美智子さまをお訪ねになり、さまざまなことを相談されてきたという。
美智子さまにとっては初めての嫁でもあり、紀子さまを“キコちゃん”と呼んでかわいがられた。
(中略)
あるとき、美智子さまと紀子さま、ご結婚前の紀宮さまが3人で御所にお集まりになって
お菓子づくりをされることがあった。
だがそこの雅子さまがご一緒されることはなかったという。」『女性セブン』2011年10月6日号
「よくあるいじめの構図と似ています。一人で苦しむ中で、お姑さんと義理の妹2人に除け者にされた、
雅子さまの当時のお苦しみは相当なものであったでしょう。
呉越同舟という言葉がありますが、美智子さまと紀子さまお二人の良好な関係性には
利害の一致で協力し合っていただけの側面があったように思えてなりません。
雅子さまが国民からの尊崇を集め、皇后として歩まれる中で、お二人の関係性を良好に保つ潤滑油が不在となり
美智子さまのほうが紀子さまに“見限られた”という見方もできます。
美智子さまがいくら皇室内で絶大な権力をお持ちでも、
国民からの信頼は雅子さまのそれと反比例するかのごとく失われていますから
国民からの目を強く意識される紀子さまが『威光を失くした人に利用価値はない』と
思われるのも、一つの自然な感情と言えるでしょう」
2020/08/13(木)22:30:48.68(S7Yf9ui4.net)