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生命力学〈Vital Mechanics〉

1 ◆GOVXYB0Zc.
AAS
現代科学は我々の宇宙に存在するものを2つの物理法則により記述している。
すなわちミクロ系には量子力学、マクロ系にはニュートン力学、あるいは(一般)相対論。
しかし、我々の宇宙に存在するものをミクロ系、マクロ系という2色刷りで
印刷することはできないのだ。
強いて二分法があるとするならば、それは生命系か非生命系かなのである。
そして生命(力学)の目的は、ミクロ系とマクロ系の統一、ひいては生命系と
非生命系の統一でる。

2010/10/15(金)16:00:48(BaaTymow.net)


820◆GOVXYB0Zc. [sage]

AAS

NG

エーテル派のレーリー卿らは光は波であるとする立場から公式を導いたが、長波長側はよく一致したが
短波長側は一致しなかった。
それに対しウィーンという物理学者が光は分子のような粒とする大胆な説で公式を導いたが、こちらは
短波長側は上手く一致したが長波長側は一致しなかった。
つまり波説と粒説には一長一短があったわけであるが、今日プランク定数に名を残すプランクが
ウィーンの公式から−1、すなわち1を引くことにより黒体輻射のスペクトルを満足な形で
説明することに成功した。

ちなみに私はその−1こそが虚数単位iの2乗ではないかと疑っている。
すなわち虚数とは加速と減速を担う最小単位であり、さらに量子化、すなわち連続性を断ち切る鍵を握っている
のがまさに虚数iというわけだ。

[ここ壊れてます].net


821◆GOVXYB0Zc. [sage]

AAS

NG

結局光は波だから媒質が必要であるとするエーテル派は黒体輻射のスペクトルを説明できなかった。
つまりこの時点ですでにエーテル派の足元はふらついていた。
さらに光電効果やコンプトン効果のように光は粒であると考えると説明できる現象が見いだされた。
そしてそれはかつてエーテル派の波説と対立していた光は粒の流れとするニュートン流の考えの復活とされ、
エーテル説は潮が引くように衰退した。
ようするに波と烙印を押されたエーテルは粒と波の二重性という魅惑的なブランド力に敗れ去ったということだ。

ところがこれがまたとんでもない歴史的誤謬であり、ボタンの掛け違いなのである。
ようするに科学史はウソをついているということだ。

[ここ壊れてます].net


822◆GOVXYB0Zc. [sage]

AAS

NG

つまり当時の物理学者たちはバイオリンなどの1次元の弦は無際限に分割できる連続体と考えていた。
もちろん1次元の弦に限らずフルートやトランペットなどの管楽器内の振動する空気も連続体と考えられていた。
なにしろあの音速に名を残すマッハでさえ原子の実在性を認めなかった時代である。
しかしだからと言って、今日バイオリンの弦は連続体と明言するのは「私は未だ原子分子の存在を知りません」
と自ら告白しているようなものだ。

つまり今日的知見によればバイオリンの弦の実体はウィーンの光は分子とする立場に近い。
実際スチールであれナイロンであれガットであれ原子以下には分割できない、ちなみにガットは羊の脹であり高分子。
それに対し古典場であれ量子場であれ場は無際限に分割される連続体、さらに現代物理学によれば電子も光子も
大きさも構造ももたない数学的な点、すなわち粒的な描像などどこにもない。

つまり上の図は猫はワンと吠え、犬はニャーと鳴くといった全く真逆な関係なのである。
ようするに科学史はウソをついているということだ。

[ここ壊れてます].net


823◆GOVXYB0Zc. [sage]

AAS

NG

エーテル派の媒質は波であるとする立場が破綻したのは弦の端点が節になる波は無限に存在する、
ゆえにそのそれぞれにエネルギーが配分されるとエネルギーは無限大に発散するというものだ。
しかし実際の媒質である弦は離散的、すなわち原子以下には分割できないのだから原理的にエネルギーが
無限大になることもないし、ましてやいわゆる紫外発散も起きない。

ところがその後媒質に取って代わった連続体である場には無限大の困難が内在する。
場が無限大を回避しているのは計算に合うように切断因子を挿入しているからだ。

つまり驚くべきことだが古典場であれ量子場であれ場は黒体輻射のスペクトルを説明しようとしたエーテル派の
描像に近い、いやむしろ踏襲していると言ってもいいくらいだ。

[ここ壊れてます].net


824◆GOVXYB0Zc. [sage]

AAS

NG

実際今日的に有効かは別として、ボーアの原子モデルはイメージとして弦の端点と端点をつなげて閉曲線にしたものだ。
つまり弦に生じる定常波は半波長を基本として1波長,2波長,・・・というように整数の値で固有振動する、
すなわち決して半端な波は生じない。

ちなみに場であれ媒質であれ無限個か無数個かの違いはあれ、空間の各点に定義された物理量という意味では同じ、
すなわち多体系。
それに対し波動関数は1粒子があっちにもこっちにもいるという思考形態、
ゆえに波動関数で事足りるなら疑似エーテルである場の考えはいらない。

結局溶鉱炉の鉄の温度を知りたいという物理学者の欲望から始まった量子論の誕生物語は、
誰が敵か味方の区別がつかない、混沌とした状況にあったということである。

[ここ壊れてます].net


825 [sage]

AAS

NG

>>822
>つまり今日的知見によればバイオリンの弦の実体はウィーンの光は分子とする立場に近い。
いや近いも何もそもそもウィーンの光は分子という元ネタはボルツマンの気体分子運動論だ。
さらにその元ネタはエーテル論者のマクスウェルの気体分子運動論だ。
さらその原形はニュートン力学、すなわち F=ma

つまりボルツマンは熱力学の温度や圧力を原子のような粒々なモノに還元しようとした。
すなわち圧力は壁に粒々なモノが衝突を繰り返すから生じるというものだ。
ところがボルツマンの説はマッハらのエネルギー論者からの立場、すなわち実証主義者からの攻撃を
受けることになる。
すなわちもし水や空気が砂粒のようにザラザラな触感をもつならばその説を認めよう。
しかし実際にはなめらかである。
しかしそれが温度や圧力のエネルギーで語るならば人間の五感、すなわち肌感覚で実感できるという立場だ。

2022/09/10(土)14:23:55.85(???.net)


826 [sage]

AAS

NG

さらにボルツマンは熱力学の第二法則から導出されたエントロピーの増大則、すなわち時間の矢も
気体分子運動論で説明できると考えた。
すなわち秩序あるものは乱雑な方向に向かう確率が高いというものだ。
ところがこのボルツマンの考えもまた執拗な攻撃にさらされる。
つまり粒的なものを記述するのは力学であるが、力学の基礎方程式は可逆、すなわち時間反転対称性をもつ。
ならばある運動をビデオに録り、それを逆回しした映像もまた運動方程式に従うはずだ、
すなわち一方的な時間の矢が存在する必然性はないという反論だ。

力学に限らず時間,空間共に2階の波動方程式もまた可逆なのだが、
結局ボルツマンは次第に精神を病み、悲劇的な結末で生涯を閉じることになる。

2022/09/10(土)14:28:38.07(???.net)


827 [sage]

AAS

NG

いずれにせよ黒体輻射のスペクトルの長波長側と短波長側の両方を満足な形で説明したプランクの公式には
ボルツマン定数が含まれているのだから、プランクの公式は光の媒質説を擁護することはあっても
それを否定する材料にはならない。

結局前世紀初頭に光の粒的な性質が次々と露わになったわけであるが、本来それらの発見に対し
エーテル派は狂喜乱舞すればよかったのだ、なぜなら今日媒質が何であれ粒々の集団であることを
我々は知っているからである。

2022/09/10(土)14:31:58.98(???.net)


828ご冗談でしょう?名無しさん

AAS

NG

古典力学スレってないのか?

2022/09/24(土)23:32:38.68(ySoWyRhM.net)


829ご冗談でしょう?名無しさん

AAS

NG

2022/12/22(木)12:07:44.12(2vM90KZH.net)

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