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【インパール作戦】「愚将」牟田口廉也 “不適材不適所”を生んだ組織の病とは何か?…今につながる日本陸軍の問題★4

1ばーど ★ [sage]
AAS
「総踊り」(※企画です)
――――――――――――
「愚将」牟田口廉也 “不適材不適所”を生んだ組織の病とは何か?
今につながる、日本陸軍の問題

広中 一成

 毎年夏になると、各メディアではアジア太平洋戦争(当時の日本での呼称は大東亜戦争)をテーマにした特集が組まれる。
 この記事もその例に漏れず、日本の戦争について振り返っていきたい。

■失敗した「インパール作戦」とは何か?

 毎夏の戦争特集のなかで、日本の戦争の失敗例としてよく取りあげられるのが、インパール作戦だ。
 これは、1944年3月、ミャンマー(当時の国名はビルマ)を占領していた日本陸軍が、インド北東部の都市インパールを攻略する目的で始めた戦いであった。
 ミャンマーは5月頃から雨季に入るため、作戦期間は雨季前の1ヶ月間と設定された。

 しかし、インパールまでの道のりは、2000〜3000メートル級の山々が連なる密林地帯で、わずか数キロ先ですら容易に進めないことが多々あった。

 インパール作戦で日本軍が敗れた決定的原因のひとつとなったのが、戦いに向かう日本軍将兵に充分な食料を補給しなかったことだった。
 短期間で作戦を決着させるため、将兵らは険しい道のりを素早く踏破できるよう、できるだけ軽装にさせられ、食料も最低限の量しか渡されなかった。

 将兵が持てなかった荷物は、彼らの後方をついてきた羊や牛などの家畜に背負わせた。
 そして、もし将兵の食料が足りなくなったら、その家畜を殺して食べてもよいとされた。

 インパール作戦は、誰が聞いてもむちゃくちゃな計画だった。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

文春オンライン 2018/08/13
http://bunshun.jp/articles/-/8520
[全て表示]

2018/08/15(水)07:20:59.21(CAP_USER9.net)


979名無しさん@13周年

AAS

NG

普通に文字読めていれば何も起こらなかったのにね。
日報の話し。

2018/08/18(土)00:49:46.89(iw33SYuo+)


980名無しさん@13周年

AAS

NG

>>936
嘘付くなよ朝鮮人

2018/08/18(土)08:09:03.93(oZAa8qiKV)


981名無しさん@13周年

AAS

NG

>>936
朝鮮人は息を吐くように嘘を吐くからな。
するっと読むと朝日新聞程度には騙されそうな作文だな。

2018/08/18(土)09:00:25.46(kgEhi4bAS)


982名無しさん@13周年

AAS

NG

>>978
個別の戦闘で一度も負けなかった(コヒマの爺様談)
なのに負けたのは、どうであれ上が馬鹿だから。
一言で言えば「無責任」

2018/08/18(土)12:15:19.61(KDhxbMnG3)


983名無しさん@13周年

AAS

NG

日本人も韓国・朝鮮人に負けずに、出鱈目の歴史を作り上げて世界にばらまいてやれ。

2018/08/18(土)12:49:53.21(8RYKQTxoj)


984名無しさん@13周年

AAS

NG

他の分野に比べて出世能力が特段に高い奴っているんだよな

馬鹿が権力を持つと大勢の迷惑になる、の好例。

2018/08/19(日)00:17:15.18(hVB9ym0f1)


985名無しさん@13周年

AAS

NG

そもそも開戦前に日本は、この戦争をどのように進め、どのように終結させるか、
国家の方針として決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
というものがあります。
これは政府と陸海軍の合意によって決定した国家方針です。
日本は全くの無計画で開戦したというわけではありません。

この決定によりますと、日本がこの戦争で先ずやるべきことは
独伊と連携したインド方面の作戦が、この戦争の柱になっています。
アジアでの英軍撃滅、ビルマ、インド独立支援
こういった戦いで日本の大儀を世界に示し、
アメリカ国民の戦意をそぐ、というのが重要なポイントになっています。
アメリカは国民から自国の戦争が支持されなければ、戦争継続が困難になります。
そういった政略が日本の方針ですから、日本が戦う相手はアメリカではなくイギリスです。

アメリカと全面戦争なんかやって日本が勝てるとか、当時でも
だれもそんなこと考えてませんから、日本の戦う策、戦争を終わらせる策は、
こういった方針しかないというのが当時の政府、陸海軍の結論です。
これは今考えても妥当な判断です。
東条首相もこの方針で行くべきだと考えていたでしょう。

2018/08/19(日)13:21:02.85(8O3Czda2V)


986名無しさん@13周年

AAS

NG

しかし開戦と同時にこの国家方針を無視し
海軍は独断でハワイを奇襲攻撃し、マスコミは大きく宣伝して
国民も歓喜し、開戦と同時にいきなりこの国家方針は
狂ってしまいました。

この狂った歯車を元の正しい国家方針に戻そうとしたのが
インパール作戦です。
少なくとも対米戦にいつまでも無駄に兵力を注ぎ込んで消耗させるよりは
価値があると東条は考えたのでしょう。
当時としては妥当な判断です。

このような指摘は以前より軍事研究家から多数あり、今やこれは常識になっています。
日本を愚かな暴走に引きずり込んだのは陸軍ではなく
海軍で特に山本五十六の戦争主導に問題があります。

しかしNHKなどは山本五十六を名将のように称え
牟田口を愚将だとレッテル貼りの報道を繰り返し宣伝しています。

2018/08/19(日)13:21:37.17(8O3Czda2V)


987名無しさん@13周年 [sage]

AAS

NG

インパール作戦、インドでは「対英独立戦争」と呼ばれている>1941年
インド国民軍結成 その頃日本はマレー半島でイギリス軍と戦っていた。
イギリス軍とは名前だけである、最前線で戦わされるのは徴兵された現地人であり
宗主国である西欧人は前線に出てこない。投稿してきた捕虜の多くはマレー人やインド人であった。
インド独立を支援するため、投降してきたインド人捕虜を解放し、マレー半島の治安維持を任せたのである。
インド人が率先して日本軍の戦闘に立ち、次々と同胞に降伏を呼び掛けて
インド独立のためのインド国民軍4万人があつまったのである>1944年3月
日本軍はインド北東部の都市インパールを目指して進軍を開始した。
日本軍の敵はインド軍ではない。インドを植民地支配していたイギリス軍である。
進軍する日本軍の総兵力は、日本人9万人とインド国民軍4万人であった。

連合国軍による中華民国への物資支援ルート遮断とインド独立という2つの目的のため、
日本軍とインド国民軍によるインパール作戦が開始された。
日本軍の総戦力は9万人だが、戦闘物資の不足などにより、実際に進軍できたのは6万人である。
また、インド国民軍は4万人の内の6千人がインパールを目指した。
日本軍は惨敗したが日本はインパール作戦の結果とは関係なく、>1945年8月15日に、連合軍に対して降伏した。

インド国民軍を創設したチャンドラ・ボースは、日本の敗戦後もインド独立を諦めなかった。
ソ連からの支援を受けるべくソ連に亡命する途中、不運な飛行機事故によって命を落とした
イギリスはインド国民軍約2万人を反逆罪で裁こうとした
インドを再支配するための見せしめであった。
インド国内では、インド独立のために戦ってきたインド国民軍2万人の
即時釈放を要求し、次々とストライキやゼネストが発生した。
民衆は警官隊と激しく衝突、軍隊も反乱を起こし、水平は「インド国民海軍」を名乗った。
イギリスによる対日戦戦勝パレードはボイコットされ、家々には弔旗が掲げられた
このような市民による戦いは2年間続いた。>1947年5月
イギリスは裁判の中止をやむなく決定した。>1947年8月15日
イギリス植民地支配からついにインドが独立を勝ち取った。>400年以上続けられてきた植民地支配から、ついに解放されたのである

2018/08/19(日)14:00:52.43(M8iTViSwK)


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