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【沖縄】「朝鮮人強制連行」忘れない 読谷・恨之碑建立10年で慰霊 [06/12]

10名無しさん@13周年

AAS

NG

内地(日本)と外地(朝鮮など)に渡航制限がありました
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朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、明治四十三年の日韓併合以降(明治四十四年年末で二千五百余り。
以下、百の位以下は切り捨てで表示する)、一貫して内地の朝鮮人人口は増え続けてきた。
とりわけ大正十年から終戦までの二十五年間は顕著で、森田芳夫氏によれば、
在内地の朝鮮人人口は大正十年末には約三万八千だったのが、昭和二年末には約十六万五千と増加し、
昭和十三年末には七十九万九千に達している。先に述べたように朝鮮半島での戦時動員は
昭和十四年九月にはじまるが、既に約八十万の朝鮮人が日本内地に在住していたのである。

『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕

朝鮮人密航者に関する一次資料
国立公文書館アジア歴史資料センター  http://www.jacar.go.jp/index.html で閲覧できます。
なお、閲覧するにはDjVuプラグインが必要です。 レファレンスコード:A20030235914    A03023591400

2016/06/12(日)23:13:01.60(DP8GCPHXG)

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