1南央美
AAS
AAS
「自分を除くこの世界の住人実は同一人物」にして
「私たちは一つの存在でなければならない」の性質上
「自分を除くこの世界の住人の精神状態は横ばい」という事になる
つまり「わざと」精神病院送りされる精神状態を「演じて」いる事がわかる
ここに「役割の決めたルールは絶対」の本質があるのだ
「自分を除く精神病院患者実は精神病院に入院を望んでいる」にして
「自分は本気で精神病院入院を嫌がっている」と言う事である
言いかえれば「自分の本心を嫌がる」を両親は選択したのだ
更に言うと「自分の本心を嫌がる」を松沢病院と烏山病院は選択したのだ
つまり「精神病院患者の存在を否定しない」を「彼ら」は選択したのだ
何故そうまでしてでも「精神病院患者」の存在が必要なのか?
そもそも何故「わざと」精神病院送りされる真似をするのか
「絶望に屈しきった奴の言動を処罰する」のを表現するのが精神病院の役割
「絶望に屈しきった言動の存在を認める」が精神病患者の役割
つまりこういう事である「絶望に屈しきった奴の言動」のことを
「ありますねそんな話」にしないために精神病と精神病患者は存在する
言い換えれば自分を入院措置するとは「ありますねそんな話」になるのを「否定」するためである
言い換えれば「ライラの真似事をするロゼ」より
「ロゼの言動をするロゼのほうがいい」を両親と病院は選んだことを意味している
「私たちは一つの存在でなければならない」の性質上
「自分を除くこの世界の住人の精神状態は横ばい」という事になる
つまり「わざと」精神病院送りされる精神状態を「演じて」いる事がわかる
ここに「役割の決めたルールは絶対」の本質があるのだ
「自分を除く精神病院患者実は精神病院に入院を望んでいる」にして
「自分は本気で精神病院入院を嫌がっている」と言う事である
言いかえれば「自分の本心を嫌がる」を両親は選択したのだ
更に言うと「自分の本心を嫌がる」を松沢病院と烏山病院は選択したのだ
つまり「精神病院患者の存在を否定しない」を「彼ら」は選択したのだ
何故そうまでしてでも「精神病院患者」の存在が必要なのか?
そもそも何故「わざと」精神病院送りされる真似をするのか
「絶望に屈しきった奴の言動を処罰する」のを表現するのが精神病院の役割
「絶望に屈しきった言動の存在を認める」が精神病患者の役割
つまりこういう事である「絶望に屈しきった奴の言動」のことを
「ありますねそんな話」にしないために精神病と精神病患者は存在する
言い換えれば自分を入院措置するとは「ありますねそんな話」になるのを「否定」するためである
言い換えれば「ライラの真似事をするロゼ」より
「ロゼの言動をするロゼのほうがいい」を両親と病院は選んだことを意味している
2019/11/21(木)11:46:17.31(XQV1+5a8.net)